ミニマリストとは客観的にミニマムであるということ
ミニマリズムはよく主観的なものだと言われます。自分にとって大切なものがあって、それ以外を省けば、もうミニマリストだと。
本当にそうでしょうか?
たとえば汚部屋で暮らしてる人が「このカオスな空間が好きなんだ」「この空間が大事なんだ」と主張していたとしたら、ミニマリストですか?いくら汚部屋以外のことがミニマムであっても、うーん、違くない?と思いません?
このような違和感について、僕なりに結論を出してみました。
客観的にミニマムでないと納得できない
ミニマリズムの意義は、誰が見ても 「モノ少なすぎん?」「それでどうやって暮らすの?」「人生楽しい?」と思わずにはいられないレベルを実現しているところにあります。
より具体的に言えば、何の変哲も無い現代人でも、信じられないくらいの少なさで暮らせている という状態です。
はじめてミニマリストさんを見た時の衝撃。覚えてますか?
あれこそがミニマリズムです。あのレベルに至れないミニマリズムはまがい物でしかない。中途半端の、なり損ない。ただの自己満足にすぎません。
客観的にミニマム + 主観的に満足
ミニマリストの凄いところは、あれが我慢やパフォーマンスではないということです。
本人は心から満足しています。すなわち、客観的にミニマムであるだけでなく、その状態に自分自身が満足している。
客観的にミニマムであり、かつ主観的に満足している という境地。
これがミニマリズムです。ミニマリズムとは一般人が「客観的にミニマムでも満足できうる」という新たなライフスタイルなのです。
ミニマリストになりたいなら、価値観を変えること
ここで一つ疑問が生じます。
「客観的にミニマムであること」に満足できない価値観の人はどうすれば?
答えは一つしかありません。
「客観的にミニマムであること」に満足できるような価値観 を持つしかありません。
よくある逃げ道が「自分の大切なこと(客観的にミニマムでないこと)は譲れない」「それ以外をミニマムにすればいい」というあり方ですが、それってただの取捨選択ですからね。それこそ汚部屋フェチと変わりませんし、 ドヤ顔で勘違いミニマリスト記事を書いた僕 と変わりません。
無論、自分がそれでいいと思うのなら、それでいいです。
でもミニマリズムはそうじゃない。本質はあくまでも「客観的にミニマムでも満足できる」ところにある。
だったらもう、客観的にミニマムになるしかないんですよ。もし客観的にミニマムであることに満足できない価値観なのであれば、満足できるよう、 価値観でも何でも変える しかないんですよ。
正解
では「客観的にミニマム」とは何なのでしょうか。
言葉で書くと、次のようになるでしょう。
平凡な現代人でもワンルーム 4.5 畳、かつ月一桁台の支出で暮らし、かつ引っ越しも最小限の手間(冷蔵庫や洗濯機などの限られた家電を除けばスーツケースで引っ越しできるなど)で済むレベルでモノを少なくした生活
他にも多数いらっしゃいますが、大体似たような生活になっていると思います。これは日本における、現時点でのメジャーな正解だと思います。
正解は一つだけじゃない
もちろん、上述した生き方が唯一の正解とは限りません。他の正解が登場する可能性もあるでしょう。もしかしたら(まだ僕が知らない or インターネットに露出していないだけで)すでに存在しているかもしれません。
おわりに
なんちゃってミニマムはただの自己満足にすぎず、ミニマリストは客観的にミニマムでなくてはならない。なぜなら 客観的にミニマムなのに本人は満足している という境地にこそ意味があり、価値があるから。
これが僕の出した結論です。
僕はミニマリストになりたいです。だって憧れるじゃないですか。そんなに小さな世界で満足できるなんて、なんて幸せなことなんだろう。ですが、今の僕はではまだまだ足元にも及びません。少しずつ、少しずつミニマムになっていきたいです。