ガラパゴスタ

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生産性向上や業務効率化が出来る人と出来ない人の違い

生産性向上や業務効率化について取り組むのは当然だと思ってるんだけど、できる人は意外と少ない。

これは何も仕組みをつくることだけじゃなくて、そもそも提案・展開したところで通じないことさえままある。「平社員の分際で」的なくだらない価値観もあるけど、それ以前に、どことなく根本的なズレというか壁というか、「通じなさ」を感じる。

色々接してきてわかったのは、生産性向上や業務効率化というジャンルにも 適性や資質がある のでは、ということだった。

では適性や資質とは何か。言語化してみたい。

基準志向であること

安定したパフォーマンスを発揮するためには、何らかの基準が必要である。それは ルールだったり、手順だったり、ガイドラインだったりする が、ともかく基準があると安定する。というか、特にチームや組織で取り組む場合は、基準がないと逆に収拾がつかない。

基準志向を持つ人は、基準の重要性がわかっている。早期からルールやガイドラインを策定し、手順を整備しようとする。また、既存の基準についても(納得できるなら)すみやかに理解し踏襲する。

一方、基準志向を持たない人は、基準の重要性がわからず基準を軽視するし、自ら整備しようという発想もない。安定という安寧とは無縁で、仕事はいつも行き当たりばったり。そういうライフスタイルだから、基準を理解し踏襲する体力も無く、足を引っ張る。

言語化、文章化、発信活動に抵抗がないこと

生産性向上にせよ、業務効率化にせよ、推進するためには現状を把握しなければならない。そして把握には 言語化という可視化 が必要だ。

言語化に慣れている人は、この作業を苦なく行える。日頃から自分の考えや理解を文章に起こし、発信している人は強い。たとえ何十というステップやプロセスになろうとも、現状を言語化できる。必要なら分類・並び替え・名前付けなどで更にわかりやすくもできる。そして、言語化したそれに見ながら、落ち着いて「ここがネックだよな」「ここはこっちでやった方がいい」などと検討できる。

逆に、言語化に慣れていない人は、この現状把握作業にとてつもないハードルを感じてしまう。たとえるなら懸垂が一回もできない人が懸垂で筋トレするかのような「無力感」。

あるいはそもそも言語化という発想さえもなく、「自分が普段取り組んでいる過程」の存在さえ意識しない。存在がわからなければ、当然、そこに手を入れて改善することもできない。どころか、手を入れようとしてくる人に対して気持ち悪ささえ感じる。

非生産性センサーが敏感であること

何も生み出さないことを非生産的と言うが、この「非生産性」を感じ取るセンサーを持っていると強い。生産性向上や業務効率化に向いているのは、当然ながらセンサーを持つ人だ。

非生産性センサーがあると、「無駄の気配」にすぐに気付ける

  • それって今心配することかなあ?(タイミングの違和感)
  • この会議、何のためにしてるんだろ?(存在意義の違和感)
  • 本当にそのクソ面倒くさい手順が必要なのか?(遠回りの違和感)
  • この人、どういうつもりでそんなこと言ってんだ……?(目的意識の違和感)
  • ……

「無駄の気配」に気付いたら、すぐにでも警戒を始める。なぜなら、センサーを持つ者は知っているからだ。こういう気配は大体当たる。だから観察を怠らないようにしつつも、対策を練り始める。どうしようもなさそうなら、せめて自分だけでも被害を被らないよう、距離を置くような立ち振る舞いをする。

一方、センサーが無い人は全く気付けない。無駄が牙をむいてきても、疑うことなく過ごしている。ゆでガエルのように時間や気力を費やしていく。

思考停止系のやる気エンジンに頼りすぎていないこと

忠誠心、責任感、義務感といったやる気エンジンは思考停止を伴うため、非生産的・非効率的な作業にも熱心になれる。

逆に、こういったものを安易に持たない人は、冷静に生産性や効率を意識できるため「盲目的に目の前の作業に従う」という罠を回避しやすい。生産性向上や業務効率化に向いているのは、無論このタイプだ。

プログラミングや小説など「構造」の検討が必要なものづくりができること

生産性向上や業務効率化にせよ、実現するためには「対象」に対する構造的なアプローチが必要になる。

  • 対象はどんな構造をしているか
  • 改善として、どんな構造を新たに導入すればいいか
  • 問題のある構造をどのように修正すればいいか
  • 主な構造としてどんなものが知られているか、またそれらの使い所や注意点は何か
  • ……

プログラミングで言えば「順序」「選択(条件分岐)」「繰り返し」といった構造が登場する。関数、オブジェクト、ファイル、モジュール、ライブラリといった単位もある。

小説で言えば登場人物がいて、各人物は身体的特徴から歴史までパラメーターを持っていて、他人物との関係や依存がある。ストーリーには起承転結や序破急といった構造を使う。

構造とはすなわち「実体や中身の全容を言語化し」「必要に応じてわかりやすい単位を導入して整理する」ことであるが、この構造を用いた捉え方は、ものづくりでは当たり前に使っている。そしてこれは 生産性向上や業務効率化においても必要なことだ。逆を言えば、これができない人は生産性向上や業務効率化(を自分でつくりだすこと)もできない。

ものづくりをしている人は、構造の扱いに慣れているため、生産性向上や業務効率化にも取り組みやすい。

手段やプロセスにこだわりがあり、個人的にも日頃から取り入れていること

生産性向上にせよ業務効率化にせよ、一言で言ってしまえば「プロセスの最適化」であると言える。

私たち現代人は忙しく、変化の激しい時代に生きている。そのせいで仕事から日常生活まで多数のプロセスを流している。これらプロセスを疑いもせず、ただただ盲目的に流す人も多いが、中にはいちいちこだわりを持ってカスタマイズしている人もいる。

  • 設備や用品、ガジェットやアプリなどを遠慮無く試す
  • 家事や情報収集などについて、ルールを決めて運用する
  • 旅行、出張、イベント参加、帰省、大掃除などを手順化する
  • 日頃から日記と写真を収集し、一元管理できるようクラウドを駆使する
  • ……

これらの行動は必ずしも生産性向上や効率化に直結しているわけではない。むしろ(単に個人の趣味や好みに従っている分)非生産的だったり非効率だったりすることもままある。

しかし、このような人は 新しいことを取り入れたり、既存を捉え直して整備したりする体力が培われている ため、いざ生産性向上や業務効率化にあたる場合でも強い。

非同期という概念がわかること

生産性向上や業務効率化において欠かせない概念の一つが 非同期 である。

非同期とは「とりあえず提出しておく」「提出した内容はそっちのペースで見てね」という リアルタイムを要求しないやり取りの方式 を指す。一方、リアルタイムなやり取りは同期とか同期的という。

元々は同期のみであった。口頭にせよ、電話にせよ、会議にせよ、やり取りの度に全員が拘束されていた。同期的なやり取りは一般的に非生産的で非効率的になりやすかった。

一方、近年では技術や仕事術の発展により、非同期も使えるようになった。非同期的なやり方ではメールにせよ、チャットにせよ、全員が拘束される必要がなくなった。各自が各自のペースで送信し、また受信したものを読んで対処すればよい。無論、だからといって怠けすぎると成立しなくなってしまうが、それでもリアルタイムという名の拘束からは逃れられる。

非同期という概念を知っている人は、同期(リアルタイムなやり取り)に多大なコストがかかること を知っている。これは何もコミュニケーションだけではなく、プロセス全般において言えることだ。たとえばプログラミングにおいても、非同期という概念は取り入れられており、性能にシビアな昨今の ICT 環境を支えている。

話を戻そう。逆に、非同期を知らない人は 馬鹿の一つ覚えのように同期(リアルタイムなやり取り)にこだわる。というより、同期しか知らないから、同期することしかできない。だから無闇やたらに会議を開催し、雑談をし、一度に全部終わらせようとする。「任せる」「待つ」「自分でペースで処理する」という緩い連携で回せることなど、夢にも思わない。これでは生産性向上や業務効率化についてピンと来ないのもムリはない。「へぇ、電話以外にメールという手段もあるんですね」「LINE ってメールより便利なんすね」くらいの無知(ハンデ)を負っているようなものだ。

仕事仲間に家族ごっこ・友達ごっこを求めていないこと

普段は生産性や効率を意識する人でも、家族や友達と過ごす時には持ち出さないだろう。

一般的に「その人(達)と過ごすことに重きを置く場合」は生産性や効率は意識しない。

しかし厄介なことに、仕事仲間に対してもこれを持ち出すことがある

というより国内の大半の企業はそうだろう。よく「会議がダラダラしていて非生産的だ」と言うが、彼らにとっては そもそも一緒に過ごすことにも重きを置いているのだから、生産性を持ち出すこと自体がナンセンス なのである。だから生産性向上や業務効率化の提案や啓蒙は、一蹴されてもおかしくないし、ひどい場合は異分子とみなされてしまう。

とはいえ、一応仕事であるから、彼らも大きな声で「一緒にダラダラしようぜ、俺たち家族なんだからよ」とは言えない。じゃあどうやって正当化するかというと、「コミュニケーションは大切である」という類の主張である。結果として、目的や効果測定もしないまま、自己満な会議やイベントばかり増えていく……。

逆に、仕事仲間をそのように扱わない人は強い。空気とか仲の良さとかいったことに惑わされず、純粋に仕事として必要かどうかだけを考えて取捨選択できる。ひいては生産性向上や業務効率化にも繋げられる。

おわりに

本記事では「生産性向上や業務効率化が出来る人と出来ない人の違い」と題して、出来るために必要と思われる資質(というよりは特徴か)を言語化してみた。

今回記事を書いてみて僕は、当たり前だと思っていたことにも実は多くの前提や条件が必要だったんだな、ということを改めて自覚した。同時に、会社で生産性向上や業務効率化を推進するのがますます難しいことも痛感した。