ヒューマンコンテンツ
人はコンテンツを楽しむ生き物である――
そう考えると人生を生きやすくなる。というのも人生を「いかにしてコンテンツを探し楽しむか」に帰着できるからだ。
このとき、しばしば争点となるのが、人というコンテンツをどう扱うかだ。
サマリー
- 人というコンテンツを ヒューマンコンテンツ という
- ヒューマンコンテンツとは「人についての何らかの情報」
- ヒューマンコンテンツには「人について知りたい」という欲求が付随する
- ヒューマンコンテンツとの向き合い方
- a) 素直に味わう(積極的に味わいに行く)スタンス
- b) 一切味わわない(つもりで距離を置く)スタンス
- c) 本心は a) なのに b) のスタンス
- d) 本心は b) なのに a) のスタンス
- 向き合い方の選び方
- c と d は満たされないので、a か b にすること
- 圧倒的多数は a なので、基本的には素直に a を味わう
- b を持つレアな資質や状況をお持ちの場合に限り、b でも良い
ヒューマンコンテンツとは
人についての何らかの情報のこと。
人とは:
- 芸能人や実力者など有名人
- 家族、恋人、友人など身の回りの親しい人
- 同僚、先輩、後輩など仕事仲間
- コミュニティや趣味の集まりなど所属集合の一員
- ネットまたはリアルで目についた人
- ……
情報とは:
- その人の身体的情報
- その人の A 級情報(会社でも扱わないような宗教、政治感、国籍、性的指向などの情報)
- その人の思考、嗜好、志向、指向
- その人の哲学、価値観、人生観
- その人のエピソード(過去の日常生活)
- その人のプライベート(今現在の日常)
- その人のストーリー(特に印象的・刺激的なエピソードやプライベート)
- その人の人脈
- その人の趣味、特技、好きなものや嫌いなもの
- その人の行動スケジュールや行動範囲
- その人の自宅やアカウント
- ……
ヒューマンコンテンツを消費するには
手段は色々ある。
- 収集する
- その人が公開している個人情報を集める
- その人が公開していない個人情報を集める
- その人が生み出したコンテンツを集める
- 観察する
- その人のリアルまたはネットでの活動を見る
- 交流する
- 仕事で
- 趣味で
- 友人として
- 恋人として
- 家族として
- 仕事する
- サラリーマンやフリーランスとして一緒に働く
- 選手として対戦または協調する
- 経由する
- その人を知る人物から直接消費する
- その人を知る人物が生み出した「その人について言及したコンテンツ」を消費する
ヒューマンコンテンツの欲求
ヒューマンコンテンツの欲求は「知りたい」という欲求である。
- 現代人は基本的に持っている
- 持っていない or 少ない方が圧倒的に珍しい
欲求が無い or 少ないパターンとしては以下 3 パターンがある。
- a) 普段から人とつるんでなくて、人を知る機会がない
- b) 何らかの指向または障害により欲求がない
- c) 他に優先するべきことがあり、それ以外はヒューマンコンテンツ含めどうでもいい
ただし a ~ c は複数該当することがある。
- (a + c) 熱心なガラパゴス
- (a + b) マイノリティの末路
- (b + c) 人でなし
- (a + b + c) フレッシュな人でなし
欲求との向き合い方
基本的には 素直に向き合う べきである。
というのも欲求が無い or 少ないパターンでないにもかかわらず、そうだと思いこんで過ごしたところで「欲求不満」にしかならないからである。特に「単に人付き合いの経験が不足している」「人見知り」「以前痛い思いをしたからもうしたくない」などの理由が多いが、これらはパターンにはなりえない。欲求不満を解消したいなら、そうした理由があっても、前に進むしかない。
一方、欲求が無い or 少ないパターンに該当する場合は、以下のように行動する。
- 1: a) の可能性を想定し、とりあえず向き合ってみる。
- 2: 1 の結果、もし「自分は a であるが、b でも c でもない」だった場合は、素直に向き合う。終了。
- 3: ここに来た = b または c なので、向き合う必要はない
つまり欲求の有無や必要性が潜在的に残ってないかを a) の観点で確かめ、残っていたらやはり素直に向き合う。それでも残ってない場合、向き合う必要はない。むしろ 欲求を満たすのに要する手間暇をかける分だけ無駄 だから、皆がやっているからといって安易に真似しないよう注意が必要である。
おわりに
ヒューマンコンテンツという概念と、これに基づいた生活のヒントを紹介した。
堅苦しい書き方になってしまったが、まとめると、
- 人に関する情報(ヒューマンコンテンツ)
- 人について知りたいという欲求
- 欲求がある人は、たとえ苦手でも・辛くても味わう方向に倒すべき
- そうしないと欲求不満が続くだけ
- 欲求がない or 今は優先度低い人は、味わわない方向に倒しても良い
- むしろ欲求を満たすのに要する手間暇が惜しいので意識的に避けても良いレベル
という具合に、割と当たり前のことしか言っていない。
p.s. ちなみに僕は「欲求を持つ」「単に苦手かつ苦い思い出があるからやりたくない」だけであり、そのくせ「必要ない」風に振る舞っているから欲求不満に見舞われている。僕は素直に知ろうとしなければならない。その一環として 趣味界隈の人達の Twitter リスト をつくっていたりする。