とある 30 代ぼっちが今まで遊んできた趣味一覧(考察編)
さきほど趣味一覧と題して、これまで遊んできた趣味を 45 個くらい挙げた。
続いて考察を加えたい。
そもそもの目的は、過去の趣味を振り返って 新たな趣味を得るためのヒントを得る ことだ。どんなヒントが得られるだろう。
元の記事
→ とある 30 代ぼっちが今まで遊んできた趣味一覧(45 個くらい) - ガラパゴスタ
ブレイクスルー
人生の転機となったタイミングと行動、そこから得られたことを端的にまとめた。
まとめ:
- 何かに参加した or 何かを始めた に分かれている
- 若い頃は偶然に頼っている
- パソコン部 → プログラミングを偶然知る
- 偏差値の低い高校 → 相対的優位を偶然知る
- 社会人になってからは必要性から始めている
- アニメとラノベ ← 癒やしが欲しかった
- 副業、ミニマリズム ← 生活水準の維持が欲しかった
- 社会人になっても偶然から発展してきたものがある
- タスク管理 ← 仕事の上長が TaskChute を進めてきた
- ダンスラ ← 池袋で偶然見かけた
中学二年
パソコン部に入る。
- パソコンやインターネットという世界を知った
- タイピングや「詳しい人」で自己顕示できることを知った
- プログラミングという「リアルタイムさ(頭の回転の速さ)が要求されない世界」を知った
高校一年
偏差値の低い高校に入る。
- 相対的に楽をして一位が取れる「相対的優位」を知った
一人でも取り組めるスポーツに取り組み始める。
- 競合が少なく、自己顕示しやすいことを知った
- 自分に自信がついた
- 骨折など怪我はとても痛く、また不便であることを知った
インターネットでの活動を始める。
- リテラシーや誹謗中傷などの怖さを身をもって思い知った
- 顔の見えない相手と繋がったり、感想をもらったりすることはとても楽しいのだと知った
社会人三年
アニメとラノベに手を出す。
- いやらしい妄想をしているのは僕だけではないのだと知った
- 天国を知った
お金を遠慮なくつぎ込んで楽しみ始める。
- 女体も物理的には別に大したことがないのだとわかった
- クロスバイクで「自分の足で探検するという根源的楽しみ」を再認識した
- 旅行は別に楽しくないことを知った
- 音ゲーは「音 + アクション」のダブルコンボで反則級の娯楽だと知った
タスク管理と出会う。
- TaskChute というタイムトラッキングを身につけた
- GTD というライフマネジメントを身につけた
- Tritask というプレーンテキスト・タスク管理を生み出せた
- 物事を俯瞰的、大局的、戦略的に見つめる・見直すことができるようになった
社会人七年
副業(≒収入を得るための発信活動)を始める。
- 人と繋がり、かつ大衆のニーズを満たせなければ結果が出ないことを知った
- そもそも大衆にリーチする(知ってもらう)ことすら難しく、バズるか地道に満たし続けるかしない限り届かないであろうことを知った
- 人と繋がることや大衆ニーズを満たすことも自分の好きなことではなく、かつ向いていないことを再認識した
ダンスラ界隈に参加する。
- ランニングマンという使いやすい運動動作を身につけた
- 人間関係の経験値が足りないと「なぜかわからないけど人が離れていく」に終始してしまうことを知った
- 暑苦しい、過剰な自己正当化、能力自慢、炎上狙いの過激な物言いで人が離れていくことを知った
- 人間関係の維持・発展には相応のリソース(特に時間と我慢)を費やすことが必要で、費やせる人は多かれ少なかれそこを楽しんでいる(逆に楽しめなければ苦痛で続かない)ことを再認識した
ミニマリズムを始める。
- 増やすより減らす方がストレスフリーと幸福に繋がることを知った
- 減らすためには既に根付いてる趣味や習慣を手放すレベルの変化が必要であることを知った
社会人八年
ヒトリズムを始める。
- 自分の人生なのだから自分の生きたいように生きてみればいい、ダメだったらそれはその時また考えればいい、一番まずいのは行動せず後悔することなのだと再認識した
選択された趣味の傾向
僕の趣味の選び方にも傾向がある。
まとめ:
- お金がかからず、一人で遊べるもの
- 消費だけでなく生産にも手を出す
- 「楽しそう」という直感に従っている
お金がかからないこと
学生時代はお金が無かったため、お金を恒常的に消費せずとも済む趣味を選んだ。
- お金がかからない遊び方しか選べなかった
- 戦略1. お年玉で手に入れたゲームを長らく遊ぶ
- 戦略2. 一度整備したら無料で遊び続けられるパソコン・インターネットで遊ぶ
ただし社会人三年目以降は「パラサイトシングルで溜まったお金がある」「今までお金で楽しめてなかったので楽しみたい」等により、お金を使い始めている。
一人でも遊べること
金銭的・性格的事情で学生時代はぼっちであり、また自分のペースで自分のやりたいことがしたいという欲も強かったため、一人でも遊べる趣味を選んだ。
- 運動はなわとび、パルクール、クロスバイク、ダンスラなどいずれも一人で取り組めるもの
- 逆に球技など複数人前提の対戦は一切手を出していない
ただし社会人七年目で現状を脱しようとダンスラ界隈に参加している。結果は失敗(それも「やっぱり向いてない」との結論)だが。
生産的であること
意識が高いため消費系の趣味だけでなく、生産系の趣味にも積極的に手を出している。
- もっぱらパソコンで行えるものづくりである
- プログラミングと文章
「楽しそう」という直感や衝動に従っていること
基本的に「楽しそう」と直感的にビビッときたものを趣味にしている。
- 始める際の抵抗感が強いものでも強引に進んだ結果、ハマっている
- なわとび ← 真面目に取り組むのはハズい、という空気があった
- 悲劇のぼっち ← ぼっちであることは恥ずかしい、隠すべきことだと思っていた
- アニメやラノベ ← オタクっぽくて恥ずかしいと思っていた
- ダンスラ ← 明らかに目立つし僕はダサいと思っていた
趣味をやめた理由の傾向
やめた理由を列挙した後、考察を加える。
まずは理由。
- 飽きたから
- 遊び尽くしたから
- 大学周辺の散歩
- フリーソフトオタク
- 伸び悩んだから
- 向いてなかったから
- ブロガー
- ダンスラ
- 必要な環境や道具がなくなったから
- DJMAX(サービス終了)
- 家庭用ゲーム機(壊れた)
- キックスケーター(引っ越し)
- 痛い目を見たから・見そうだから
- リア充ごっこ(誹謗中傷)
- パルクール、サイクリング(怪我した/今後怪我しそう)
続いて考察を以下に。
結果を追い求めざるを得ない趣味だと「向いてなかった」が浮上する
ブロガーとダンスラについては「向いてなかったから(ガチるのは)」やめた。一年くらいで判断している。一方で、他の趣味についてはこの理由がなく、数年以上続けているものも多い。
この理由が浮上する理由は、「結果を追求せざるをえなかったから」だろう。
- ブロガーでは副業として収入を得なければならなかった
- ダンスラでは友達、恋人を手に入れたり、承認を手に入れたりしなければならなかった(それほどの能力があるのだということを自分自身に示さねばならなかった)
無論、これらはあくまで努力目標にすぎないのだが、それでも結果が出ないことは中々に堪(こた)える。
ここから言えそうなのは、趣味として楽しめるレベルの事物でも、結果が必要であり、かつ向いてない場合は続かない か。
小さな趣味だと「遊び尽くした」という終わりが来る
大学周辺の散歩とフリーソフトオタクについては、早期に遊び尽くしてしまい、やめている。
趣味というと末永く楽しめるイメージがあるが、このように そもそも(扱う対象の)物量が少ない趣味 もありえるということか。
- 散歩 ← 大学周辺を全部辿ったら終わり
- フリーソフト ← Vector、窓の杜、その他人気アンテナサイトを全部辿ったら終わり
一方で、アニメやマンガ・ラノベといった趣味はまだまだ遊び尽くせていないが、これは以下理由によるものと考えられる。
- 物量がそもそも多い
- 楽しむのに要する時間が本質的にかかる(作品全部を読む・視る必要がある)ため、消化ペースが遅い
- お金や空間などのコストの関係で、消化ペースが遅い
逆を言えば、上記を満たさない趣味については、この終わり方になりやすいとも言えるか。
環境が変わって楽しめなくなる趣味もある
趣味の中には環境に強く依存するものもある。この場合、依存対象を失う・依存対象から離れてしまうと、趣味そのものも終わっている。
- ゲーム機(寿命などで物理的にゲーム機が壊れる)
- キックスケーター(東京は人口密度・建物密度的に安全に蹴れない)
- クロスバイク(東京には伸び伸び漕げる道や自然が少ない)
- 大学周辺の散歩、遊戯王カードゲーム(大学を卒業した)
特に 東京という場所の制約 がキツい。仮になわとびやパルクールを続けていたとしても、東京転勤(社会人七年)時にやめていた可能性が高いし、今継続方法を考えてみても、それらの遊び場がパッと思い浮かばない。
実用的な趣味は長く続く
仕事に生かせる、日常生活を改善できる、健康に通じるなど実用的な趣味は長く続く傾向にある。
- 仕事:Windows カスタマイズ(中学生から今まで)
- 仕事:プログラミング(高校生から今まで)
- 健康:スポーツ(なわとび → パルクール → クロスバイク → ダンスラ、と途切れてない)
- 日常:タスク管理(社会人三年から今まで)
SNS という趣味は長く続かない
Mixi、Facebook、Twitter、Quora とこれまで多数の SNS を趣味として楽しんでいるが、長続きはしていない。惰性で数年続いているものもあるが、どれも一年以内にモチベーションが折られている。
- Quora 以外 → 人間関係の問題(ふざけすぎ or 経験値足りなすぎ)でやめるに至っている
- Quora → 「承認されたいけど実力不足で割に合わない」せいで(ガチるのを)やめるに至っている
ここには なるべく手間をかけずに満たされたい という思いが共通している。手間をかけずに満たそうとするが、その手間の少なさだと「満たせるのに足る水準」に到達できないのである。別の言い方をすれば、「ありのままの自分を評価してほしい・これでモテたい」という幼児性が抜けずにいる。
(本題) 新たな趣味を見出すためのヒント
材料は揃った。ようやく本題に入れる。
僕が新たな趣味を見出すために、ここまでまとめたことから「参考にできそうなヒント」を咀嚼してまとめてみる。
自分の感性には素直に従う
僕の志向は偏っているが、それでも中学生から三十路を越えるまでに、45 もの趣味を楽しんできた。中には「本当はやりたいけど……」と渋っていたものも多い。
今後も同様のスタンスを心がけたい。特に今は三十路を過ぎ、老化が始まっていて、ただでさえ変化や適応には弱くなっているから、意識的に素直に従う行動力と強引さが求められるだろう。
必要なことから発展させて趣味にする
癒やしが必要だったからと手を出したアニメやラノベ、生活水準維持に必要だったからと手を出したブロガーやミニマリズム……。このように「何らかの不満や改善のために必要なこと」として手を出したことが、そのまま趣味に発展していくケースも複数ある。
今、必要なことは何だ?
それを続けてみれば、それが新たな趣味に昇格するかもしれない。
出会いは偶然だから、今に目を向けておく
プログラミングも、タスク管理も、僕が狙って趣味にしたものではなく、当時偶然出会った場所や人からもたらされたものである。
クランボルツの「キャリアの八割は偶然によって決まる」は有名だが、趣味についても同様なのかもしれない。ならば、今に目を向け、今に集中して生きた方が建設的というものだ。そのうち新しい趣味に出会える。今までそうだったように。
人間関係が絡む趣味に手を出すなら最初から妥協しない
SNS 趣味をはじめ、僕が手抜きをしているせいで痛い目を見ているのは明らかだ。そして学習もしていない。このやり方は通用しないという現実を認めるべきだ。
もし、まだ人間関係が絡む趣味に手を出したいのなら、最初から手を抜かず、また「なるべく手間をかけたくない……」などと妥協することもなく、むしろその過程そのものを楽しむ覚悟で望むべきだろう。
逆に、それができないのなら最初から手を出さない方が良い。どうせ一年もしないうちに終わってしまう。もっとも「その時楽しければ良い」のならその限りではないが(そして 残念なことに過去の僕はそのきらいがある)。
……今後も、より面白い SNS が登場したら、僕はたぶん遊んでしまうのだろう。
結果を追い求めずマイペースに進められる趣味にする
好きこそものの上手なれと言うが、それで通用しないことはここ一、二年でよくわかった。
もし副業レベルの収入が欲しいのならば、好きなことだけではなく「仕事として」「社会人として」やらなばならないことも避けては通れない。たとえば人々のニーズはきちんと分析する、界隈の人々との人間関係を軽視しない、炎上狙いや悲劇のぼっちなど「悪目立ち戦略」を取らない、今楽しんでいる趣味を手放してでも努力に費やす、程度のことは朝飯前でなくてはならないだろう。
趣味は 趣味そのものを楽しめる ものが良い。趣味とは本来、そういうもののはずだ。
おわりに
抽象的なヒントばかりだが、これまでの傾向と性質を端的に捉えられたという感触がある。
この結論を参考に、新たな趣味を模索してみるとしよう。