ソロ充、プア充に続く生き方「ノホビ充」とは
これまで当たり前とされてきた充実を手に入れるには、険しい道のりを辿らねばなりません。だからこそソロ充やプア充といった「当たり前の充実を捨て、別の方向性から充実を手に入れる」ライフスタイルが登場しました。ノホビ充もその一つです。
ノホビ充とは
ノホビ充 とは 趣味は持っていないけど人生を充実させる ライフスタイルを指します。名前の由来は、趣味(Hobby/ホビー)が無い(No) → No Hobby(ノーホビー) → ノホビです。
そもそも趣味とは何か
ノホビ充とは「趣味を持たずに充実させる」ことだと述べましたが、では趣味とは一体何なのでしょう?
「趣味とは何か」
これはノホビ充について語る上では欠かせない話題なので、詳しく見ていきます。
趣味とは何か
趣味とは以下をすべて満たす活動を指します。
- 内発性
- 内発的な動機にもとづいて行っている
- お金、空気、仕事などのためにやっているのではない
- 生きるためにやっているのでもない(食事や睡眠や入浴など)
- 依存的な延長としてやっているのでもない(喫煙やアルコールなど)
- 楽しいから、好きだから、暇だからやっている
- 定期性
- 定期的に行っている
- 月 4 時間以上(週 1 時間以上のペース)
- 忙しい時は 4 時間未満になることもある
- 余裕がある時は 8 時間など著しく超えることもある
- 公開性
- 「私の趣味は~~です」と堂々と言える
- もちろん相手や TPO 次第では言えないこともある
- TPO や相手次第なら堂々と言える、と解釈してください
つまり 好きで定期的にやっていて、他者に語れるほど(自分の中で)はっきりしている 活動だと言えます。
趣味の充実=人生の充実?
趣味が充実すれば人生も充実するといいます。「何か趣味を持て」と説いた本やブログも腐るほどありますし、誰かから「趣味持った方がいいよ」と言われたことがある方もいるでしょう。
そういうわけで「趣味を充実させないと、人生も充実しないのかな」と思いがちです。
しかし、そうではありません。
より正しく言えば 趣味は人生を充実させるための、一つの手段でしかない と言えます。人生を充実させる手段は、趣味以外にも他にもあるはずです。
趣味という言葉のハードル、劣等感
趣味と聞くとハードルが高く感じられることがあります。
それは内発性、定期性、公開性のすべてを満たさなければならないからです。
台詞で表すと、こんな感じになるでしょう。
- 「あー、何か好きなことを持ってる人はいいねー、羨ましいよ」
- 「定期的にやってるなんて真面目だね。熱心だ」
- 「堂々と語れるくらいハマってるんだね。語れるコミュニティに通ってるとは熱心だねー……」
そのひたむきさ、真面目さ、熱心さを自分は持っていないと痛感し、高いハードルに感じられます。
さらに、趣味とはメジャーな概念ですから、
「私は趣味さえも持てないダメ人間なんだ」
と劣等感に繋がることもあります。
趣味は持たなくてもいい、と考える
趣味について整理したところで、ノホビ充に入っていきます。
ノホビ充では 趣味は持たなくてもいい と考えます。
もっと言えば、趣味の三条件がなくてもいい と考えます。たとえば以下のように。
- 内発性がなくてもいい
- お金のためでいいじゃないか
- 家族のためでいいじゃないか
- 仕事だから、でもいいじゃないか
- みんなやってるから、でもいいじゃないか
- 定期性がなくてもいい
- 不定期でもいいじゃないか
- 頻度が少なくてもいいじゃないか
- 公開性がなくてもいい
- 人に言えなくてもいいじゃないか
- 言葉で表せなくてもいいじゃないか
ノホビ充では、これらの「いいじゃないか」を使い分けることで人生の充実を目指します。
ノホビ充の前例は至るところにある?
実はノホビ充は、言葉こそ僕がつくったものですが、ライフスタイルとしては既に存在しています。
皆さんの周囲にもいませんか。
「特に趣味と呼べるものはない」とか「休日になっても特にやることがない」といった人が。特にその中でも、人生が充実してそうな人が。
彼らはノホビ充です。趣味に頼らずとも、自分を充実させています。彼らにとっては、ノホビ充などという言葉で語るまでもない、当たり前のことだったりします。どころか「ノホビ充?それって無趣味とどう違うの?」と鋭い指摘も来ます。
ノホビ充とは、そのような無趣味の人たちに意識的にフォーカスを当て、どうすれば人生が充実するのかを探ることで、「趣味」に対する呪縛から解放されることを目指したもの です。
ノホビ充のサンプル
概念だけだとわかりづらいのでサンプルを挙げます。
ノホビ充とは、 ~~を生きがいとする人である。
このように考えるとわかりやすいです。この ~~ には趣味以外の何かが入ります。言わば、趣味の代わりに ~~ で人生を充実させているわけですね。この ~~ について具体例を見ていきます。
内発性を持たないノホビ充
内発性(報酬が無いけどやりたいという意欲)を持たないノホビ充です。
- 「金稼ぎ」が生きがい
- 「承認されてちやほやされること」が生きがい
- 例1. 初心な男を捕まえては振り回す女
- 例2. IT に疎い職場で頼られるパソコン趣味男子
- 「家族を支えること」が生きがい
- 「恋人と一緒に過ごすこと」が生きがい
- 「シェアハウスのルームメイトたちと過ごすこと」が生きがい
- 「仕事」が生きがい
- 例. 仕事中毒
公開性を持たないノホビ充-
公開性(自分の言葉で語れるほどハッキリしている or 人に堂々と語れる)を持たないノホビ充です。
- 「自分ルールに従って生きること」が生きがい
- 毎日日記を付ける
- 毎日 10000 歩歩く
- 夕食は必ず自炊して野菜を取り入れる
- 「なんとなくこだわって生きること」が生きがい
- なんとなく自転車は持ってない
- なんとなくスマホは持ってない
- なんとなく部屋は整理してない
- なんとなくビジネスホテルに泊まる
- 「誰にも言えないこと、言いづらいこと」が生きがい
- たまに風俗で遊んでいる
- 目の保養になるから渋谷や池袋や原宿に行く
- 同級生の SNS を探して読みまくっている
- たまに蠱毒(虫を一箇所に集めて殺し合いさせる)で遊ぶ
定期性を持たないノホビ充
少し説明が難しくなるのですが、定期性(定期的に行うという習慣性)を持たないノホビ充については、「~~が生きがい」という形で例を挙げることができません。
このノホビ充は 習慣に頼らずに生きる ことで人生を充実させます。もっと言えば 主体性を持たずに生きる ということであり、 主体的に生きるために必要な「自立的で、自律的で、かつ継続的な訓練」を放棄した生き方 とも言えます。
よく「主体性が大事だ」「受身はダメだ」などと言いますが、本人が充実できるのなら主体か受身かは重要ではありません。そして、どちらで充実できるのかは人によって違いますし、既に受身に生きている人の中には、受身の方が充実できる(というより主体的では充実しづらい)タイプの人もいます。
この場合、この人が無闇に主体的になろうとすると不幸になります。台詞で表現するなら、
「自分で動くの面倒くさい。だるい。つらい」
「そんな辛い思いをするくらいなら、別に死ぬわけじゃないし、命令に従ってた方が楽だ」
「受身でもまあまあ楽しいよ」
と、このようになります。
もし、主体的に生きるのが辛い(もっと言うとそのために必要な「自立的・自律的・継続的な訓練」に向いてない)のであれば、いっそのこと主体性を放棄して、受身のまま生きた方が楽になります。加えて、受身でもまあまあ楽しいのです。これが定期性を持たないノホビ充です。
※ちなみに、なぜ主体性を手に入れるのに「自立的・自律的・継続的な訓練」が必要かというと、主体的であるためには何度も何度も自分と向き合い、見つめ直し、また知識を仕入れたり行動を改善したりといった「改善の行動を繰り返すこと」が必要だからです。これを「自立的・自律的・継続的な訓練」と表現しています。もっと言えば「主体性を手に入れるための習慣づくり」とも言えます。
おわりに
趣味を持たずに人生を充実させるライフスタイル「ノホビ充」について取り上げました。
僕は多趣味な人間なのでノホビ充にはなれませんが、世の中には趣味を持たずに充実させている人もたくさんいます。そのような人達について僕なりに言葉でまとめたのが、この「ノホビ充」という概念になります。
本記事が「無理に趣味を持とうとして迷っている方や苦しんでいる方」の参考になりましたら幸いです。