ソロ充に友達? ソロ充な彼氏彼女? あなたはソロ充について何もわかってない。
ソロ充について調べていると「ソロ充は少数の友達と過ごす」「ソロ充には自然と人が寄ってくる」「ソロ充な彼氏や彼女」といった説明を見かけますが、声を大にして言いたい。それはソロ充じゃない。何もわかってない、と。
ソロ充には友達がいない
そもそもソロ充には友達はいません。なぜかというと、ソロ充はぼっちから派生したもの だからです。
起源については、独身研究家の荒川さんの記事が詳しいです。
ぼっちから脱するアプローチは二つある
ぼっち、ソロ充、リア中。この三つの言葉の関係について整理しておきます。幸いにも、非常に分かりやすい図があったので、引用します。
出典: 「キョロ」は決して恥ずかしくない。|荒川和久@「超ソロ社会」著者|note
ぼっちとは、上図に従えば「友達が少ない(あるいはいない)」かつ「人生が充実していない」人のことです。当然ながら本人は満足していません。満足したいですよね。じゃあどうするか、と考えた時に、アプローチは二つあります。
- (A) 友達を増やす(そうしたら満足するはず)
- (B) 友達を増やす以外の方法で満足する
このうち (B) を選んだ生き方がソロ充 です。
(A) はソロ充ではありません(成功すればリア充、失敗すればキョロ充)。
ソロ充という新たな概念
元々、ぼっちが充実を手に入れるためには (A) しかない、つまりは友達を増やすしかないと考えられていました。しかし誰にでもできることじゃない。それゆえに「リア充」と名付けて羨み、妬んだわけです。
しかし、この多様な現代、他のアプローチがあることに気付きます。それが (B) の 友達の過多に頼らずに充実させる というアイデアです。
これに対する名前はありませんでしたが、幸いにも、ふさわしい言葉が一つあります。「ソロ充」です。
僕は、この新しい概念にこそ、ソロ充という言葉を当てはめるべきだと考えます。
結局何が言いたい?
ソロ充はリア充の派生系ではない、ということです。そんな解釈ではソロ充の本質は見えてきません。
ソロ充はぼっちの派生系です。
友達がいないということ。そんな性質・制約・性格・気質を前提として、充実を求める生き方や考え方がソロ充です。本質はぼっち なのです。
……ではなぜ、僕はこんなことを主張するのでしょうか。ようやく本題に入ります。
一人のソロ充として言いたいこと
友達(というより恋人等も含めた「対人関係」)で充実を推し量る発想は、もう古いです。「男は仕事、女は家事」くらいに古い。人はもっと多様です。ソロを支持する人がいたっていいし、実際にいると信じています。少なくとも僕はそうですし、狭い観測範囲の中でも何人も見ています。
僕は一人のソロ充として、ソロ充という考え方や生き方をもっと広めたいし、もっと知りたい。
その際、リア充というノイズが邪魔なんです。
リア充(あるいはその気質を持つ者)が一時的にソロで過ごしたからソロ充? そんなのただの「リア充の一人行動」じゃないですか。ソロ充という「ぼっち気質を前提とした人生充実の追求」という側面が、何も見えない。どころか隠蔽されている。冗談じゃない。
ソロ充は一時的状態ではありません。 ライフスタイル です。そうあるべきなんです。そうしたい人、そうせざるをえない人がいると思うから。僕もそうです。
おわりに
本記事ではソロ充という言葉の「あるべき姿」について語ってみました。
この新しいライフスタイルが、もっと広まればいいなと願ってやみません。僕のように救われる人もたくさんいると思いますし、僕自身も、もっと色んなソロ充について知りたいですから。